ずいぶん空間が開いてしまいました。 ここ何週間の気温の変化にしてやられて、体調を崩してしまったり、Stay homeで体のメンテナンスを怠っていたら思っていたよりも反動がきて、商売道具の手に影響が出たり。 変わらない体調を保つには、ベストな状態の生活サイクルを維持する必要があり、それを見つけるには日々の観測が大事だということがわかった数週間でした。 わかってはいるけれど、なかなか続けられない習慣化の壁は”習慣化のコンサル”宗像陽子さんに指導していただき、体メンテナンスは理学療法士の在津幸子さんに教えていただきました。 どちらもzoomでの指導ですが、すごいわかります。 どちらにも共通したのが、「自分の声を聴いているか」ということ。 習慣化は自分の心の声を。 体は体の声を。 そこに目を向けることで、すぐに予防にまわれます。 マイナスになっている状態を0に戻すための地道な作業が、結局近道というところですね。 詳しくは次回に。 Stay home、そこまで大変ではないのですが、やはり恋しくなったのが映画館。 ウェッブの映画館で観たことがないものを観ることも考えましたが、自分の内情が不調な時こそ、自分が影響を受けた映画で原点回帰することをしました。 「バベットの晩餐会」というデンマークが舞台の映画で日本では1987年に初上映されました。 劇場では観ておらず、衛星放送で放送された時に観たのですが、凄く印象強くてDVDに保存してその後も何回か観ました。 どちらかというと地味な印象の映画なのですが、主人公の女性料理人バベットの仕事の姿勢に、自分が在りたい姿勢を見つけたからです。 ざっくりあらすじを説明すると、19世紀後半、動乱のパリで家族を亡くした女性料理人バベットが、デンマークの小さな漁村にすむ信仰深い質素倹約の生活を送る姉妹の元に逃げ延びてきてメイドとして働くようになりました。彼女は元シェフとしてのスキルを活かして姉妹を支えます。 ある日バベットの宝くじが当たったので、姉妹や周りに住む仲間の信仰者達に、それまでの感謝として姉妹の父である牧師の記念日に料理をごちそうしたい、と申し出ます。 その料理のにより人々の心が変化していく・・・という話です。 私が惹かれたバベットの姿勢は、有名なレストランのシェフだった肩書ではなく、0からのスタートでも色々な人にプラスの還元をしていくところ。
言い換えると、シェフであった自身の力の誇示ではなく、ただ真摯にベストなものを提供しようとしていく姿勢とそこから周りに伝わっている幸福感に、出し惜しみをしないgiveというモノがあると感じました。 パリの有名レストランで提供していた同じコース料理を、デンマークの小さな漁村で提供した時、パリでまさにそのコース料理を味わったことのある人が「その時の料理を思い出す」と言います。 ということは、場所や状況が変わっても常に同じだけの熱量で向き合っている、ということが分かります。 また質素倹約の生活を続ける姉妹や村の人々にとって、食欲も抑えるべき欲の一つ。 最初はその美味しさを受け入れることに抵抗していた人々も、料理やワインを口にするごとに湧く心の機微が抑えきれずに表情に現れます。 そして頑なになっていた心が徐々に解され、人間的なギスギスとした感情をも解して円満な状態にしていきました。 その人々の変化していく感情や抑えきれない喜び、そしてそれを作り出していくバベットとの関係にモノを作り提供する側として、自分もこう在りたい、と感じました。 料理に限らず、手にしている様々な能力を、日々出し惜しみなく使えたら、自身にも周りにも良い影響を作れるのではないか、と考えます。 ただそこに、人間的な感情がぐちゃぐちゃと入ってしまうと、ややこしいことになってしまいます。 Give側もTake側もニュートラルな姿勢で向かい会えたら同じような良い循環を作り出せるのかもしれません。 まずは日々ニュートラルな状態でベストを尽くせるよう、自分を整えていき、在りたい自分に近づけるようにしていけたら、と思います。
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